本日も学連の会議で大阪に出向いたわけですが、そこで久しぶりに100円おじさんに会った。
券売機などで切符を買おうとしていると「お兄ちゃん、100円ちょうだい」と言いながら寄ってくるおっさんだ。恐喝するように言うのではなく、本当に憐れっぽくうめくような低い声で言ってくる。
もちろん金を上げる道理なんてねぇので「いやや。やめろやおっさん」と追い返した。
前回こういう人(同一人物では無いだろうが)に言い寄ってこられたのは、大学に入る前だった。その時はおっさんでは無く若い兄ちゃんだったのだが、その時の僕は、彼の今しか見えなかった。
でも今日おっさんを追い払いながら僕が見たのは、今に至るまでのおっさんの姿だ。
痴呆や知的障害の方のような喋り方をしながらも、足取りや目の感じから、一般的な知能を持っている事が分かる。それなのに、道行く人、自分の半分にも満たない年齢の僕にまで、すがるような声と目を向ける。100円ちょうだい。自意識なんてどこかに置き忘れた、おっさん。でも、そこに至るまで過程が、彼にだってある。
もちろん擁護するつもりは無い。彼の人生の責任は、彼自身にある。でも、あんな姿のおっさんが、人生の何分の1かまでは真っ当に生きていたハズだという事実に、恐怖する。
どこかで、何かが狂ってしまった。それを修正できぬまま日々は過ぎ、行き着いた先は100円ちょうだい、だ。
女性などに彼が言い寄っていった場合、たいていは否定の言葉さえ聞く事無く、汚い物を見る目を向けられ、無視される。
そんな彼を見ながら、自分は絶対に金などやらないし、鬱陶しいと思うが、彼を笑う事だけはすまい、と思った。