月と自転車

「明日晴れたら、ぼくら飛べるんちゃうかな」
自転車の後ろに座ってる弟が言った。
吐く息が白い。夜の月は綺麗だった。昔の映画を思い出した。
「ETみたいに？」
「うん」
「せやなぁ」
自転車は飛ばない。知っている。僕も弟も十何年も生きてる。
でも、その夜の月は綺麗で、本当に綺麗で、だから飛べるかも知れないと思った。
漕ぐペダルに力をこめる。
「おっ、ほっ、おっ、おっ」
体の力全部を踏み込んで、自転車はスピードを上げる。小さな石ころを踏んで飛び跳ねるたび、荷台に座った弟が変な声を上げた。たまに尻をクッションの無い荷台にぶつけて、「痛っ」と言った。
　
昔、スクラップ工場に憧れた。
なんかのアニメで、子供がそこに捨てられていた。
でもそこから色んなものを拾って、基地を作って、車を作って、発明品を作って。
他の捨てられた子供達も集まって、彼らは『王国』を作った。一度は終わりかけた人生を、自分達の手で切り開き、ガラクタ山のてっぺんで自由を叫ぶのだ。
スクラップ工場に憧れた。そこには、何かが始まりそうな、何か新しい物が生まれそうな予感があった。ドキドキがあった。
だから家を飛び出したあと、僕は真っ直ぐにスクラップ工場に向かった。
　
「痛っ、ホンマ、おにぃ痛！」
弟が痛そうに背中を叩いたので、僕は弾みで思い切りブレーキを握ってしまった。
さっきまで全力で漕いでたのに。
空を飛ぶつもりで漕いでたのに、思い切りブレーキを握った。しかも前輪の。
　
僕と弟は空を飛んだ。
　
「…っと痛いわぁ、ホンマ。アホか」
弟が地面に仰向けに倒れたまま、僕をなじる。
「うっさいボケ。お前が飛べる言うたんやないか」
「僕が飛べる言うたんは明日や」
「明日？」
僕もすりむいた膝と腕を庇いながら仰向けになる。
「明日は満月やろ。チャリが飛ぶんは満月の日や決まっとる」
「そうそう、満月で血が騒いで、チャリがオオカミになって…」
「オオカミ、飛ばん」
「ツッコむん、そこかい」
僕と弟は仲がいい。


まだカラカラと音を立てて回っている自転車のタイヤ。
スクラップ工場のガラクタから、僕らが唯一見つけたもの。
本当は基地を作りたかった。
本当は発明品を作りたかった。
『王国』を作りたかった。
でも僕らが見つけたのはこの自転車だけで、だけど、だから僕らはこの自転車で走り出した。
「兄ちゃん、痛かったけど、なかなかエエ漕ぎっぷりやったで」
「そうか」
「ETまで行かんでも、魔女宅のトンボぐらいには飛べるかも知れへんな」
そう言ってから、弟は空を見上げて「明日は満月やしなぁ」と呟いた。まだETが残ってる。

　
「今更やけど、何でお前おんねん？」
「ホンマ今更やな、兄ちゃん」
河川敷の道を、僕と弟は自転車を押しながら歩いていた。親と喧嘩して家を飛び出したのは、僕だけ。でもいつの間にか弟はそばにいて、一緒に自転車で走ってた。
「兄ちゃんの啖呵、なかなか決まっとったで。『自分の事ぐらい自分で決めれるわ！』ってな」
弟が真面目な顔を作って僕の真似をする。うっさい。
「兄ちゃん、高校行かんの？」
「行かん言うたんちゃう。今は行く意味が分からんから、考える言うたんや」
別に勉強が大嫌いなワケでもない、高校生活に憧れもあったりする。でも、みんな行くんやから当然行くのだろうと思われてるのが嫌だった。当たり前な事なんて無いのに、何も考えずに「当たり前だから」なんて理由で高校行くなら必要ないと思った。
「まぁ、僕も兄ちゃんの言う事分かるわ」
「偉そうに」
「なんも考えんと、エスカレーター乗ってんねん、前の人の背中見てな。上に着いたら、ここ来たかったとことちゃうわ思って。でももう引き返す時間なかったり」
弟は大げさな仕草を交えて喋る。寒いからか、時々鼻をすすっている。僕は黙って自転車を押していた。
「でもな、一番下からずっと階段登るんもしんどいやん。途中でバテてまって、座わり込んでもうたり。ほな、乗れるとこまでエスカレーター乗ってもエエんちゃう？　でも、前の人の背中見とるんちゃうで。真剣に周りを見回しとくねん。そんで、ホンマに『ここや』思ったら飛び降りたったらエエねん。当たり所悪かったら死んでまうかも知れん。でも、真剣に見回しとったら、それでも飛び降りたる、って場所が見つかるやろ」
弟はそこで話を切って、鼻をすすりながら「寒っ！」と言った。気温の話か、自分の話かは分からない。黙って歩いていると、自転車のタイヤが立てるカラカラという音が大きくなっていく気がした。
「しかしなんやな」
僕らの吐く息が暗い空に上っていくのを見上げる。
「お前もなんや、かっこええ事言うようなったやんけ。『ぷいぷい』の角さんあたりに言われたら、泣いとったわ」
僕がそう言うと、何か弟が笑う気配がした。視線を移してみると、やっぱりニヤニヤしてた。
「やっぱりや、兄ちゃん、忘れてんねや」
「何が」
「さっき言った話、前に僕が家飛び出した時、兄ちゃんがした話そのままやで」
弟に言われてようやく思い出した。何年前だったか、僕が今の弟と同じぐらいだった時に、やっぱり親と喧嘩して家を飛び出して、その時に僕が弟に言った話だった。
同時に、それは僕が父親にされた話そのままだった事も思い出したけど、それは弟には黙ってた。昔父親から聞いた時はよく分かってなかった。今もたぶん分かってなんか無くて、でも昔とは違う手触りを感じた。
話を聞いても思い出せなかったのはそのせいかも知れない。
「せや、そんでお前、何でここおんねん。喧嘩したん俺だけやねんから、家出てくる必要ないやん」
僕は何かをごまかすように話を変えた。弟は月を見上げて答えた。
「ん、別に。月が綺麗やったから、散歩や」
散歩や。その言葉にも聞き覚えがあった。これも僕が弟に言った言葉だ。あの時、僕は本当は、なんで弟を追って家を飛び出したんだったっけ？　覚えてる。母親に言われたんだ。一人にしてやったらあかんから、あんた行って、って。別にすぐ帰ってこんでもええから、でも一人にしたるなや、って。
その事を思い出すと、悔しい気持ちが湧いてきて、でも他の気持ちも湧いてきて、何やろ、あー、もう、なんやねん、もう。
「あー、ホンマ寒っ」
僕は変に大声でそう言って鼻をすすった。そしたら弟も真似するように「ホンマ寒っ」と言った。
「やっぱチャリ乗るで、後ろ座れや」
かじかんできた両手に息を吹きかけてから、僕は自転車にまたがった。
「どこ行くねん、月か？」
「今日は満月ちゃうから飛ばれへん」
人生は難しくて、僕はその難しさすらまだ分かっていないと思う。何を目指せばいいか分からないから、何をすればいいかも分からない。今はまだ、飛べない。
でもホンマにこれや、って思う時が来たら。羽根なんかついてなくてもいい、自転車で思い切り飛び出そう。
「おっ、ほっ、兄ちゃ、痛っ、ケツ、痛っ！」
自転車が飛び跳ねて、弟が後ろで叫んでいる。でも僕はさらにペダルに力を込める。今はまだ飛べなくてもいい。もうすぐで満月になる月の方に向かって、速度を上げる。
明日には、月だって飛び越してやる。

二時頃。

amesiki2007-12-17

この恋の終わりで泣く事は無いんだと思ってた。



１年ちょっと前の人生最大の失恋のあと、もうずっと人を好きになる事なんて無いのかなとか思ってて、でも好きになれて、本当に嬉しくて、一緒に居ると楽しくて。

でもその恋が、例え彼女に好きになってもらえたとしても何にもならない恋だったと知って終わって。

本当は聞きたい事が山ほどあったけど押し殺した。彼氏が居ても好きだったなんて言葉を微塵も疑わなかった。友達に「そんなヤツ付き合わんで良かった」と言われても彼女を悪者には絶対しなかった。もちろん、二番目を受け入れるなんて道を選ばなかった。

だってそうだろう。自分のものにならなかったからって、傷つける対象にして良い訳が無い。疑う対象にして良い訳が無い。罪を押し付けて良い訳が無い。

そんなのは恋じゃない。愛じゃない。僕はそう思う。

自分で正しいと思う事を貫く作業は孤独で辛い。

でもそれをやりぬいたつもりだった。涙を流す事なく。



時限爆弾は、雪と音。



最後の日に持って行ったカバンから、雪が落ちた。

それを見て、つい僕はその曲をかけた。

彼女が「いい曲だ」って教えてくれた曲。aikoの二時頃。



この恋の終わりで、泣く事は無いんだと思ってた。

そんなわけ無いのに。



もし、いつか、作り笑いじゃない笑顔であなたと話せる時が来るとしたら、この曲の事を聞きたいな。押し殺した、他の多くの質問よりも。
「こんな曲」を、僕に、「せつない曲ですよね」なんて言いながら聞かせてくれた時、何を思ってたのか。


でも、今はまだ。
彼女の電話番号だけに設定してたこの曲が鳴っても、僕はそれを取れない。

聞こえたのは君の歌声

昨日の夜はデートでした。
　
　
好きな人が居ます。
全てになるほど好きな人で、二回告白して二回ともフラれてます。
フラれて、もう１年以上経ちます。
彼女は会社の同期で、関係を悪くしたくはないし、もういい加減、吹っ切らないと、と思っています。
　
　
僕の事を慕ってくれる女の子が居ます。
良いコです。かわいいです。
昨日は、そのコとデートでした。
　
　
好きな人が居ます。
彼女とは、もう３ヶ月ぐらい会っていませんでした。
同じ会社ですが、場所が全然違うし、僕は食堂とかにも行かないので。
　
なのに昨日、もう吹っ切って次に進もうと思っている僕は、彼女と偶然に会いました。
　　
朝、会社に向かう道。
あの角を曲がって、僕の目の前に。
あなたは現れて、おはようと言いました。
要はそれだけの事で、僕もおはようと返して、世間話をしながら会社に行きました。
　　
　

昨日の夜はデートでした。
かわいい良いコとデートでした。
全てになるほど好きな人とは違う人と、デートでした。
今日の朝までは、僕はこのコの事を好きになれると思っていました。
　
ご飯食べてお酒飲んで、彼女が買って来てくれた抱え切れないほどの四国のお土産もらって。
話して、笑って、歩いて。
彼女をタクシーに乗せて、それを見送ってから、僕は一人で少し歩きました。
酒で少し浮ついた頭。目を瞑りました。
　
考えてるような、何も考えたような気分で上を向いて、目を開けました。
色んな人の顔が浮かんで、色んな思いが漂って。
無音の夜に楽譜。
　
　
聞こえたのは、君の歌声。
　
　
眠たいような、あなたの声。