ライムスター

ビダさんの日記で、韻を踏む事がダサく感じられると言う記事。
たぶん今までに一番曲を聞いた回数が多いアーティストがKICK THE CAN CREWである僕としては、当然そうは思って無いわけだが、言われてみればなるほど、駄洒落と変わらないと言えばそうかも知れない。
ならば、なぜ僕はHIPHOP(と言うかラップ?)が好きか。韻を踏んだ歌詞の真骨頂は、やはり音楽に乗せている時に感じられるのではないか。
韻を踏んでいる歌詞は、音楽に乗せるときに耳障りが凄く良い。ふとんがふっとんだ、と言ってもそんな事は感じないが、韻というのはつまり「語尾」を同じ母音で合わせる事だ。音の切れ目が同じ音で紡がれる事によって、リズムが出来、音楽に乗りやすくなる。結果、耳障りがよく感じられる。という気がする。
もう一つは、僕は制限が好きだ。自由極まりない中で描かれた壮大な芸術ももちろん悪くはないが、ある厳しい制限を設けられた中で、その制限から想像できないような物を創造すると言うのが物凄く好きだ。ショートショートなんかも、枚数が少ない中で、という制限がつく。その上でどれだけひねくれまわせるか。そこが面白い。夢オチと言う手垢の付いた題材でSSを考えるのとか、最高に楽しかった。
韻を踏むと言う行為にも、それに似た所を感じているのかもしれない。全然違う言葉を韻と言う要素でつなぐ。その行為の面白みが好きなのだ。

夜に溶ける最終電車 行き先は君の居ない終点さ

上はクリスマスイブRAPにおけるLITTLEの歌詞だ。普通に読んでも美しい文章だと僕には思える。このような文章を語尾の母音を揃えると言う制限の中で生み出した事が面白い。そのあたりが好きなんだろうと思う。
 
 
と、書いておいて何ですけど、KICK THE CAN CREW以外のHIPHOP聞かない僕は、別にHIPHOP好きじゃないよ!