雨仕掛け

トリコさんから反応あり。
ううむ、GOTHは別に事件が似ているわけでは無いのですが、死や殺人に興味を持っている男女が主人公なんで、キャラとして似ていると。
乙一の小説は死や殺人を『善でも悪でもなく』捉えるので、もともとそういう思考を持っている人にとっては、自分を肯定された気分になるのでは無いか、というのがあります。
そしてそれは、最近の流行でもあると思います。下に書いてる『青の炎』の売り文句は『こんなにも切ない殺人者がいただろうか』ですし。殺人を肯定的に描いている作品とも取れます。
 
『創作を楽しむ上で必要なのは常識』
これには「なるほど」と思わされました。
ですが、その常識を育てるのも創作が関わってくる気もするのです。そのあたりの結論が自分の中で出なかったため、前の文章は曖昧な終わり方をしているのですが。
上記のような理由から、作者に責任が無い、には肯定も否定もできません。自分自身のスタンスを決めかねてます。
ただまあ、他人に責められる類の責任は無いと思います。あくまでも、作者が自分自身でどう感じるか、の問題で。
だから、書きたいものを書く事には変わりないんですけどね。今も、そういう意味では常識(良識)から逸脱した作品書いてますし。
 
PTAの功罪。
これに関しては、その通りですね。僕はむしろ、『殺人を描かない』作品にの方が問題だと思うのです。特に少年誌の漫画などでは『敵を倒す』事で終わります。殺したのかどうかは描かれません。斬られても、撃たれても、敵は『倒される』だけの場合が多い。敵を『倒した』後、主人公は笑います。
そのような作品は子供に読ませるのに、ちゃんと死を描いた作品を規制する風潮は、やはり問題だと思います。死を描いているかどうか、では無く、死をどう描いているかが問題なのに、そこを勘違いしている気がします。
もちろん、少年誌的な作品もあっていいのですが、それしか読まずに育った人間は、死について考える機会があるのか疑問です。
 
あ、それと僕の鬱は大丈夫です。
昔から深く考え詰めてしまう癖は自覚していまして、空気抜きのために二面性を備えていますので。
家に閉じこもって鬱になれば、吐くまで走りこんで吹き飛ばします。外で鬱になれば、家に帰って文章にぶつけます。
体育会系小説書き、文化系ランナー。
 
追伸:モテ期は放っておくとすぐに終わるので、マメに手入れする事が肝心です。(高校時代を遠い目で思い出しながら)
 
さらに追伸:製作日誌のあれはどうしたんですか、は禁句ですか。