世界の中心で散骨。

映画『世界の中心で愛を叫ぶ』を観る。レンタルビデオ。世界の中心では静かに散骨してました。叫んでないよ。
えー、まず、無茶苦茶面白く無いのだろうなぁと思って観た事が功を奏したのか。別に面白くなくもありませんでした。と言うか凄い。これは物凄い物語だ。何と言ったら良いのか、『可もなく不可もなく』を極めた映画。非常に真面目で捻りも新しいアイデアも無く、しかもそれを恥じる事無く徹底しているから、一種の究極に達している。場を白けさせる「失敗」も特に無く、加点法で行くと0点、減点法で行くと100点の映画。
何て言うのかな。どの恋愛映画にも共通する骨組みの部分を抜き出して、そのまま映画にしてしまった感じ。観客として批判するのは簡単だけれど、創作家としてこれを超える恋愛を描けと言われると非常に難しいんじゃないかと感じた。感情移入が出来ないと言う意見を耳にしたけれど、僕は大嫌いなペイフォワードでも死ぬシーンでは泣いてしまったという、とりあえず観てる間は出来るだけ感情移入して楽しもうと言う方なので、まあ少しウルッと来た。それは評価とは全く関係ないけど。だって恋人がいきなり白血病で死ぬって言うねんから、その事実だけで僕は泣ける。泣き上戸。ま、頭の中は冷静で、泣いてても後から評価聞かれたら「アホか」とか言うんだけど。
悪かった点は、最後の方が長くてグダグダだった事。最初から売れると分かって創られた映画の悪さだなぁ。二時間二十分ぐらいか? 邦画では珍しい長さ。映画というのは、興行側からすると短ければ短い方がいい。簡単に言うと、2時間なら一日に6回上映できるはずが、3時間になると4回しか上映できない。当然収益も変わってくる。だから興行側が短くしろと命令して、それが映画をシャープにする。創作は何でもそうだけれど、創った本人達は思い入れがあって、撮ったシーンを全部使いたいぐらいの気持ちである。推敲作業は、だから難しい。そこを興行が無理矢理短くさせるから、映画は贅肉が殺ぎ落とされ、本当にどうしても残したい二時間に絞られていく。売れると分かっていたこの映画には、この機能が働ききっていない。
あと、「助けて下さい!」のシーンが何回も目にしていたため、すでにギャグとして頭にインプットされていて、笑ってしまった。真面目過ぎるシーンを何度も繰り返すとギャグになる典型。
結局のところ、自分がこんな物語書きたいかと言われたら反吐が出る勢いで嫌って言うけれど、見る分にはレンタル代の400円を考えるに、悪くはない。世間に受けた事に関しては凄く理解出来るし、ある意味これが売れた事は象徴的だと思う。確かにこれはある種の究極。
ま、彼女と一緒に毛布に包まりながら見たんで、そのプラス作用がだいぶ働いた感想になっていると思います。だって、隣に今居る彼女が白血病になったら俺はどうするだろうとか思いながら観てたんだから。