佐藤友哉『子供たち怒る怒る怒る』

佐藤友哉『子供たち怒る怒る怒る』を読む。
毒だ。こんな物は毒で、佐藤友哉は読んではいけない。
佐藤友哉初の『純文学』であり、短編集。各作品は全て子供が主人公である。兄弟以外を『他』と感じている主人公が、大洪水に襲われた家で妹を探す「大洪水の小さな家」、完全な防腐処理を施された美しい少女の死体が様々な人々の間を漂う「死体と、」、何の要求も無く学校を占拠して無差別殺人を起こす高校生達を描いた「慾望」、連続殺人犯・牛男の次の犯行を当てる遊びが、奇妙に捻じ曲がっていく「子供たち怒る怒る怒る」、雪に埋まった子供がそこから抜け出そうとする「生まれてきてくれてありがとう!」、苦痛を受けるたび人形になってやりすごす少女の「リカちゃん人間」の六篇が収録されている。
面白くなかったのは「慾望」と「死体と、」の二編。「慾望」は今更な話であり、見所も無い。「死体と、」も同じ様な話はコメディ系ではよくある。死体を手に入れた人々が次々に不幸になっていくわけだが、別に目新しくもないし上手くも無い。何かテーマがあったのかも知れないが、伝わらん。この二編は無かった事にする。
「子供たち」「生まれて」「リカちゃん」はテーマとして似ている。全て理不尽に弱い立場に立たされている物の復讐と回復の物語。弱さを描くために子供を使っているのだろう。大人がNOと言えば全てぶち壊される存在だから。
「子供たち」では、外からの、それも理不尽な存在の助けを受けて復讐に向かう。理不尽に対して理不尽で返すのは如何なものか。(捻じ曲がった主観だが)迫害されてきた相手に対する復讐と言う形ではあるが、僕が『怒られる』側の人間であるからかも知れないが、少し違和感を感じた。妹や、夫と別れてしまった母親の存在もテーマから外れるような気がする。最後はそういう部分をほったらかしにしてテーマの主題だけをバーンと描く作家なのは知っているが、気になってしまって、これも違和感。ただ、文章にパワーがあるし、読ませると言う点ではぐいぐい読ませる。
「生まれて」と「リカちゃん」では、自分の力で回復を目指す。今までに無いポジティブな話だ。その描き方はやはりひねくれているが、内容自体は実に前向きだ。僕はやはりこういう話が好きなのだ。
そして「大洪水の小さな家」。これは唯一の強者、それも絶対的な強さを持った子供が主人公である。しかも最後はさらなる強さを手に入れてしまう。正直、僕は弱者の回復の話には共感できなかった。そんな弱者が居るの? と思ってしまう。それを思った時に、完全に怒られる側、復讐される側だなぁと感じた。
それゆえか、この話が一番しっくりくる。僕には分からないが、本当にこの本の弱者に共感する権利を持つ人が居るのだろうか。あまりにも理不尽に弱くて弱くて、ここまで虐げられる者が居るのだろうかと思ってしまう。小手先の技術ではあるが『』の多用も、あるものをただ言語として捉える感覚と言うのを上手く表していると思う。完全に無関心になった時というのは、何かで区切られているような感覚を受けるのだ。
全編通じて、エンターテイメント的な整合性や伏線回収なんかは欠点だらけだ。問題を解決しないままに終わらせる部分が一杯ある。(本質的な問題は一応解決しているけど。)今まで弱かった子供が素手でバンバン大人倒したり、どんだけ水中潜れるねんって言うようなツッコミも一杯。
ただ、そういう部分をほったらかしたからこその簡潔性とかはある。ある意味で潔い態度だと思う。書きたい事しか書かないってって言うのは。「あの部分がおかしい」と言われても「俺はここが書きたかったんだ」って逆切れするような文章は、ある意味楽しい。
でもやっぱり本当に毒だし、描き方が不必要なまでにグロいし、考え方捻くれてるし、弱者のみの視点から描いたりしている一方的な部分もあるし、自分を確立していない人は読まない方がいい。こういう本を通して自己を確立していったりなんかすると、絶対嫌な大人になる。
ああ、でも結局最後に言わなければならない事がある。うん、やっぱり、面白かった。
僕はもう、影響受けないけれどね。