衝撃の三冠

京都競馬場まで行って、菊花賞を見てきた。
競馬がギャンブルであるという事は間違い無いが、それだけで毛嫌いする人が居るのは勿体無いと思う。競馬は間違い無くギャンブルだが、そこにはロマンがある。
15時40分、朝から曇っていた京都競馬場の上空の分厚い雲が割れ、太陽が顔を出した。光が射し、深緑だったターフが、鮮やかに輝く。まるで、この瞬間に曇り空は似合わないとでも言いたいように。
始まりの時間を告げるファンファーレがなると、28万の掌がリズムを取って鼓動を刻んだ。力強く、地鳴りのように脈打って、競馬場の隅々まで血を通わせる。そして、ファンファーレが終わるのに合わせて、咆哮のような声が14万人分、空気を震わせた。
スタートしてからの彼は、ずっと落ち着かなかった。周りの馬をジロジロと見回して、もっと前に行きたいという素振りを見せた。それを鞍上の天才・武豊がなだめる。だが、なかなか収まらない。
その様子が巨大モニターに映された時、大きなざわめきが起こった。皆知っている。3000mと言う長丁場で落ち着きを無くす事がどれだけ結果に影響を与えるか。さらに、前には快調なペースで逃げる強豪、アドマイヤジャパンの姿があった。その距離は詰まらぬまま、最終コーナーを曲がる。落ち着きを欠いてスタミナが無くなり、アドマイヤジャパンを捉えきれない彼の姿が、脳裏を掠めた。
その、瞬間だった。脳裏を掠めた映像を打ち壊すように。不安が脳に届くよりも速く。彼は動き出した。
武豊が力強く腕を動かす。それに応えるように彼が足を伸ばす。たった一歩蹴るだけで、さっきとは違う位置に居る。もちろん走っているのだから当り前だ。だが、同じく走っている他の馬と相対的に見てもそうなのだ。一歩蹴る。さっき前に居た馬に並ぶ。一歩蹴るさっき横に居た馬の遥か前に出る。一歩蹴る。一歩蹴る。その度に、ずっと前に居たアドマイヤジャパンが近づいて来る。
並ぶ瞬間は見えなかった。一歩で、前に居たはずのアドマイヤジャパンは後ろに居た。横に並ぶ間など無く。駆け抜ける。
その時、大量の馬券が宙を舞った。本命が来たからと言って、馬券を外した人はたくさん居るのだ。だが、外れた馬券を放り投げている人も、顔が妙に嬉しそうだった。誰もが少年の目をしていた。外した人も当てた人も老いも若いも男も女も。皆少年の目をして、彼が史上二頭目の「無敗の三冠馬」になる瞬間を見つめていた。14万人分の歓喜が、京都競馬場を包み込んだ。
全身に鳥肌が立った。ゴール板を通り過ぎた瞬間から三冠馬となった彼は、ゆっくりと緑の芝生を踏みしめていた。この競馬場の『熱』の中心。その雄大な姿は何よりも美しかった。
競馬はギャンブルだ。だが、ただのギャンブルならば、今年の菊花賞に、去年の倍近くもの観客が競馬場に足を運んだ事の説明はつかない。三冠馬が出ようが、ギャンブルとしての質は変わらない。皆がロマンを求めてここへ来た。もちろんギャンブルをして金を増やしたいと言う心も同時に持って、でもそんな心を吹き飛ばしてくれる走りを期待しながら。それが競馬なのだ。
表彰式。武豊は彼の上にまたがって、三本の指を立てた。一冠目の皐月賞では一本。二冠目のダービーでは二本立てたから、誰もが予想はしていた行動。でも、観客は最高の歓声でそれに応えた。僕は涙を流した。不覚にも、とは思わない。心から感動して、僕は泣いた。
ありがとう、武豊。そしてありがとう、ディープインパクト
競馬の面白さを心の底まで感じさせてくれる素晴らしい菊花賞だった。