儀式

彼女と、儀式とは何かと言う事を話した。
きっかけは、彼女が成人式に出ないと言っていた事だ。それ自信は僕がどうこう言う事ではないが、理由を聞いた。
「最近の成人式と言うのは、とても大人になるための式には見えず、むしろ子供っぽい行動を取る者が多い」「だいたい大人になると言う事は、市町村から与えられる物ではなく、新成人自身がなるものだ」「儀式と言う物自体、実質的な行動等を伴わぬ意味の無い物だと思う」「だから儀式は嫌い」
そのような事だった。
確かに間違ってはいないと思う。儀式と言う物に意味など無い。成人式と言う儀式に人を大人にする効力は無いし、結婚式をしたから二人は夫婦になるわけではないし、正月が無くとも時は過ぎる。
ただ、意味が無いから必要無いかと言うと僕は違うと思う。
正月にも書いた気がするが、節目はきっかけとして使える。そして節目の象徴が儀式だ。
「儀式は道具」だ。それ自体に意味は無くてよい。人がそれをどう使うかによって、意味は生まれる。包丁で人を感動させる料理を作る者も居れば、人の命を奪う者も居る。道具は使い方次第だ。
儀式に意味は無い。だが、きっかけに出来る。それは儀式自体が持つ力ではない。その儀式を使う者の力であり、行動だ。彼女の言っていた「大人になる事は市町村に与えられる事ではない」と言う言葉は、いい点をついている。だが、儀式と言う物は元々何かを与える物では無いのだ。与えようともしていない。与えるのはただ、きっかけだけ。
儀式は何も変えてくれない。変わるのは自分だ。そのために、意味の無い儀式を使え。
せっかく誰かがきっかけを用意してくれているのだ。それを使って自分が変わればいいのだ。