ジャーナリズムジャパニズム

ジャーナリスト志望の女の子と話をした。
飲みの席であったが、本気で話をした。
ただ、僕は酒も入って上手く喋れず、せっかくの機会だったのに、彼女を『取材』し切れずに時間は過ぎた。
あれ以上食い下がっても、飲み会の場を白けさせるだけ。
(というか、既に白けさせていた。申し訳なかった。)
結局納得したフリをして、話を切り上げた。
 
いや、納得はしたのだ、本当に。
「あ、全く根本から感覚が違うんだ」って事に気付いて、なるほど、と思ったのは確かだ。
でも僕は話し切れなかったから、ここにまとめる。
 
まず、彼女について書こう。
どこにでも居る、ただの夢見がちなジャーナリスト志望者では、無い。
彼女の伝えたい事、世界中の現実。
僕ら日本人なんかが知らない世界が世界中に溢れている事。
そしてそれをただ言っているだけでなく、実際に何十カ国も渡り歩いている。
仕事をしながら、ジャーナリストの学校にも通っている。
「私はこのために生まれてきた」と宣言できる情熱を持つ。
その宣言を「逃げ道を塞ぐためだ」と言い切れる冷静さを持つ。
 
そして何より、素敵な文章を書く。
 
僕の身近な人間でも、面白い文章を書く人間は多い。
でもその中で、僕が一切の文句をつけられない相手は彼女ぐらいだろう。
それは僕の書けない種類の文章を書くからと言う理由もあるが、それでも、素晴らしい文章を書く事は間違いない。
(そこには男性的な文章、女性的な文章、と言う差もある気がする。しかしまぁ、彼女は男性的な文章ですら高いレベルで書ける。その上女性的な文章をや、と言うところだ。)
 
 
 
僕がその日、最初にした質問はこうだ。
「なぜ日本じゃなくて、インドなの?」
 
別にインドだけじゃないけど、彼女は日本じゃなく、外国のの現実を伝えたいと思っていた。
そしてそこに住む人達、子供達を救いたいと。
 
そこが、なぜ日本じゃなくて、インドなの、と言う質問。
もっと身近な日本にだって、苦しんでいる人は居る。
なのになぜ、インドなの。
 
酔いの抜けた頭で今考えると、この言葉自体が誤解を生んでいる気がする。
僕の質問っていうのは、あくまで質問であって、意見じゃない。
「もっと身近な日本を救うべき」と言う意見は一切僕には無い。
ただ、普通なら身近な日本の方が対象になりやすいだろうに、なぜ外国なの?と言う単純な疑問。
それはただの最初の質問で、本当ならもっとその後も突っ込んで、あわよくば小説のタネにでもならないかしら、と思っていた。
 
これに対しての回答は、「それは別に他人がどうこう言うトコじゃなくない?」と言うもの。
あぁ、今やっぱり思ったけど、僕の質問は意見の要素を含んで受け取られてるな。
 
でまぁ、色々長々と喋ってる中で、最終的に「自己満だよ」と言う一言を彼女は言った。
それで僕は、納得した。
ああ、なるほど。感覚自体が違ってるから、話が通じていなかったのだ、と。
 
 
例を出そう。
 
ある人が、捨てネコを見つける。
可哀想だと思って、拾って帰って育てる事にした。
ネコを抱えて家に帰ったその人は、ネコにミルクをやった後、自分は夕食に牛のステーキを食べた。
 
ここに、まぁ、違和感を感じるだろう。
ネコは助けるのに牛は食うのか、と。
彼女は、僕がこの矛盾に対して質問をしていると思っていたのだろう。
だから「自己満」と言う回答が出たのだ。
 
ここには、確かに矛盾がある。
この行動は完璧な美談などでなく、自己満の行動だ。
だが、そんな事は分かりきった事だし、今更語るまでもない。
それに、自己満であっても、意味のある行動だ。
そんな事質問しても、面白く無い。
 
さて、ならば僕は何を質問していたか。
もう一つ例を出そう。
 
ある人が牧場を見つける。
今から殺される肉牛を見て、可哀想だから買い取って育てる事にした。
牛を連れて帰る途中、捨てネコを見つけたので、拾って帰ってネコを食べた。
 
さぁ、どうだろう。
違和感は、前述の例と同じか?
少なくとも僕は、最初の例は受け入れられても、2つ目の例は受け入れられない。
自己満として片付けられるのは同じのはずなのに、「そういう問題じゃない」と言いたくなってしまう。
 
 
僕が彼女に対してしていた質問は、これだ。
 
「なぜ牛を助けるのにネコは食うの?」
 
過激な例ではあるが、決して「なぜネコは助けるのに牛は食うの?」では無い。
 
僕にとって、救いたい対象が「身近な日本人」でなく「遠い外国人」であったことは、牛を助けてネコを食う事に感じた。彼女がその選択をしたのは、ただそうしたいと思ったからではなく、何らかの理由があるはずだ、と思った。
だが違った。彼女は、自分の行動はネコを助けて牛を食うような、当り前な自己満と思っていた。
「遠い国の外国人」を救いたいなどとは思っていなかったのだ。「身近な彼ら」を救いたいと思っていたのだ。彼女にとって救いたい彼らは、僕が日本人に対して感じるような身近な存在だった。
 
 
くどくどと書いたけど、結局は彼女は世界を身近に感じていて、僕はそうではなかった。
だから、彼女の言う事に理由があるはずだと思ったけれど、彼女は僕と違って世界を身近に感じていたから、理由なんて必要なかった。そういう話。
 
 
★☆
 
 
上のが、その日、口に出来なかった酔った僕の頭の中だった。
だが今、改めて考え直すと。
 
それだけじゃないな。
 
こんな事にしつこく食い下がったのは、ただのクレーマー的な要素も多分にある。
 
つまりは嫉妬。
 
実際に行動力を持ち、文章力を持ち、目的を明確にしている彼女が、僕は羨ましかったのだろう。
 
だから綻びを見つけて、少しでも地で這い蹲る僕に近づけようとした。
 
たぶんね。そんな気持ちもあった。