書けば書くほど悪くなる。

『書けば書くほど悪くなる』と言ったのは誰だったか。
忘れたけれど、今、この言葉を地で行っている。
もちろん分かっている。毎日書いてるから、それだけ小説を読む力も付いて、それまで見えなかった自分の文章の拙さが見えるのだ。
それを分かっていても、日々自分の文章が悪くなっていく(気がする)のを見るのは精神に堪える。
いっそ目の前のパソコンを破壊して、破壊し尽くして、粗大ゴミを捨てる費用がいらないぐらいに八つ裂きにしてやろうかと思う。
そんな気分を味わいながらもキーボードを叩くのだから、精神に良いわけがない。
ならばボケっとテレビでも見ながらベッドに寝転がっていればいいのだけれど、そんな今だけの楽に流されていいのか、などとも思う。昔は今さえ良ければいいと思っていたのに。『未来のために今を犠牲にするなど、愚の愚だ』と、言っていたのに。
結局のところ、平和で平凡なルーチンワークと言う牢獄が怖い。
無感動に、思考を停止して、ただ同じような毎日を過ごし、微かな変化と幸せに、小さく顔を綻ばせる。そんな年のとり方はしたくない。
平凡は死だ。他人にその考えを押し付ける気は無い。でも僕に取って、平凡ほど恐ろしい物は無い。そんな自分は生きていない。平凡で、どこいでも居るような人間なら、僕じゃなくてもいい。
世界が歪むような絶望を、天を超えるような喜びを、最期の時まで味わいたい。
たぶん、それが無理な事は分かっている。今の僕から見れば、小説家は平凡ではない世界に住んでいるように見える。だが、実際なってみれば、きっと平凡でしかないだろう。
それでも、目指す。初めて本屋で自分の作品を立ち読みした時の、あの胃液の奥から滲み出てくるような喜びを。そのためにキーボードを叩く。