キッズリターン

北野武作品。テレビ番組で観賞。
普通の物語の構造と言うのは、まず主人公に『欠けているもの』があって、それを得る過程を見せていく。色々な障害などが発生し、主人公は障害を乗り越えながら、『欠けているもの』を得ようとするのだ。それが読者や、観客にカタルシスを与える。
例えば推理小説なら、『犯人が誰か』と言う事が、主人公には分かっていない。『犯人が誰か』を得る物語と言える。ホラーなら『生き延びる事』だったりする。ヒューマンドラマならば、孤独感な少年が暖かい家庭を手に入れるかも知れない。
しかし、この作品ではそれが最初から裏切られる。
この物語は、退屈な高校生活を送っていた二人が、それぞれの道を見つけて行く物語だ。この部分は、間違いなく『欠けているもの』を得るための物語である。
だが、この作品の冒頭、まず二人の将来の姿が語られる。
「お前、まだ続けてんのか」
「いいえ、まーちゃんは?」
「俺はプーだよ。今から仕事探しだ」
どんな道を選んだかすら提示する前に、結局、夢破れた事を提示するのだ。その後、場面は高校時代に移る。主人公二人が夢を追いはじめる前に。
一方はボクシング、一方は極道のを選び、別々の道を歩いていく。それぞれ、自分の道でのし上がっていく。しかし冒頭で語られたとおり、その夢は、破れる。
一度は掴みかけた夢が手から逃れてしまった二人は、数年ぶりに出会う。互いに相手の夢が終わってしまった事をしった二人は、自転車に乗って高校へ向かう。退屈な毎日を過ごしていた高校時代と同じように。
 
『欠けているもの』を得るどころか、彼ら二人は振り出しに戻ってしまった。『欠けているもの』が欠けている状態へ、一周して戻ってしまった。
自転車に乗りながら、彼らは喋る。
「俺たち、もう終わっちまったんですかねー」
「何言ってんだ、まだ始まってねぇだろ」
つまり、これが北野武の言いたかった事。そして、リアルだ。
物語の中の目的は、基本的に達成されるためにある。推理小説で結局犯人が分からなかったら、物語が成り立たない。しかし、現実はそうはいかない。犯人が分からないまま終わる事件がある。十年もかけて、また高校の時と同じ何も無い状態に戻ってしまう事もある。現実とはそう言うものだ。
しかし、それでも。物語ではなく現実だからこそ。まだ、終わっていない。始まってすらいない。

『終わってしまったんスかね』と言いながら、でも、二人は笑いながら、自転車をこいでいた。